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日本人には違和感がある「我們(私たち)」の使い方

台湾の文化、生活

こんにちは、台湾のゆっこです。

夜型から朝型に変えたいと何度かトライしていますが、もともと朝が弱いのでなかなかうまくいきません。

今朝も、太郎が寝ているうちに書けばいいのに一緒になって寝てしまって、結局もう夕方ちかくになってしまいました。

でも夜が強いかというと、最近は22時くらいには眠くなるので、夜も弱いときたもんだ。

一日のリズムを作るのって難しいですね。



さて、本題です。

日本語と中国語は言わずもがな、漢字を使うこと以外は異なることだらけの言語です。

言語は文化を色濃く反映するツールでもあると常々思っていますが、太郎が生まれてから新たに知った、とても台湾ぽい「我們(私たち)」の使い方がありました。

月子中心から自宅に戻り間もないある朝、マルコス母が「我們太郎太可愛」と言いました。

私たちの太郎可愛すぎる

この表現、日本人の皆さんはとても違和感がありませんか?

そもそも、日本語は主語すっ飛ばし言語なので、「私が(の)」とか「私たちが(の)」とかはあまり言いません。

最初は聞き間違いかと思ったのですが、その後も度々「我們太郎太可愛」と言います。

ん?我們?どういうこと?

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日本では祖父母が孫を「私たちの太郎」とは言わないし、親でさえ子供を「私たちの太郎」とは言いません。

太郎は祖父母にとっては「私たちの」であり、親にとっては「私たちの子供」です。

何だか違和感があるし、正直なところあまり気持ちのいい言い回しではないと感じたので、なぜだろうと考えてみると、日本語のニュアンスだと所有物のような響きがあるからだと気づきました。

そこで、マルコスに聞いてみました。

こういう場合の「我們」は、どんな意味で使われているのかと。

すると、答えはこうでした。


あまり深い意味はなく、広い意味の家族のメンバーに「我們」をつける


広い意味の家族とは、親子以外に、祖父母はもちろん、おじおば、義理の姪甥などの広い範囲の親戚一同を指すそうです。

つまり、例えば私の義理伯母大阿姨だーあーいーにとって、太郎は「我們太郎」、私は「我們ゆっこ」になりうるということ。

へーへーへー。(このネタ分かります?)

日本よりも家族の結びつきが強い台湾らしい言いまわしです。

たった二文字でこうも印象が変わるとは、言葉の持つパワーはすごいです。

私はもう44年も日本人やっていますので、私の口から「我們太郎」ということはないと思いますが、こうした違和感も少しずつ薄れていくのでしょうね。

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