こんにちは、台湾のゆっこです。
先日、九份の人気草餅屋「阿蘭草仔粿」のオーナーさんがマルコス母の友人ということで、お願いをしてインタビューをしてきました。
- 店の誕生秘話
- 草餅の味の秘密
- 思い出話
などなど、興味深い話が聞けました。
製造工程も、映像を見ながら詳しく教えていただきました。
インタビューは、マルコスやマルコス姉の通訳なしだったので、頭をフル回転させ中国語を使うしかなく、帰りはクタクタでした。
何を言っていたのか分からなかった部分は、マルコス母の説明を日本語ペラペーラのマルコス姉に通訳してもらったので、情報は間違いないかと思います。
ではでは、紹介していきます。
阿蘭草仔粿の誕生秘話
平日の昼間でも行列ができる人気店「阿蘭草仔粿」は、どのようにして生まれたのでしょうか。
話は九份の歴史にさかのぼります。
九份は一度は金鉱として栄えたのち、戦後に金が採れなくなり、
1971年に閉山してからは、衰退の一途を辿っていました。
しかし、1989年に転機が訪れます。
九份で撮影された映画「悲情城市」が大ヒットし、人々から忘れられていた街が、一躍、
有名観光地へとのし上がることになったのです。
・それまでタブーだった二・二八事件を題材にし、話題になった映画!
・ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞!
・香港俳優のトニー・レオンも出演♡
歴史も学べて、トニー・レオンも観られる映画「悲情城市」、観るしかありません!
当時、オーナーは、台北でバスの教習所の講師をしていたそうです。
奥様は、別で洋裁の仕事をしていたそうです。
九份に人気が出てきたのをきっかけに、オーナーはお兄さんと一緒に商売を始めることにしました。
売り物は、草餅です。
今や九份で草餅と言えば阿蘭ですが、元々はこの地域の伝統的な食べ物なのだそうです。
ラッキーだったのは、現店舗はオーナーのご実家で、昔はご両親が油條などを売っていた場所でもあること。
つまり、新たに貸店舗を探す必要もなければ、家賃を払う必要もなかったというわけです。
開店してもしばらくはバスの講師を続けていたので、オーナーは平日は台北に勤務し、土日だけ阿蘭。
一方、お兄さんは専属で阿蘭で働いていました。
お兄さんの奥様や親せきに手伝ってもらいながら、草餅を売っていたそうです。
オーナー兄弟が始めた商売でしたが、後にお兄さんは撤退することになります。
経営方針にも違いがあったようです。
しかし、オーナーが残ったことで、阿蘭が人気店になっていくのです。
草餅の味の秘密
「阿蘭」の草餅の人気の味を聞いてみました。
【台湾人の人気No.1】 菜蒲米(切り干し大根)
【日本人の人気No.1】 紅豆(小豆)
あんこを食べる日本人には、やはり紅豆が人気なんですね。
ガイドさんがまとめて紅豆を買って、日本人のツアー客に渡すこともあるそうです。
では、この味はどのように生まれたのでしょうか?
答はいたってシンプル。
おふくろの味
ということでした。
開店するにあたり、オーナー兄弟は、草餅の作り方から、切り干し大根、紅豆などの具材の作り方まで、全てお母さんに教わったそうです。
当時は、既に年老いて、お母さんは自分で作ることはできなかったそうですが、子供たちにおふくろの味を伝承したんですね。
草餅に包まれるのを今か今かと待っているおふくろの味 ↓
おふくろの味が、九份の人気の味になって、お母さんも天国でさぞ喜んでいるでしょうね。
阿蘭を人気店にしたオーナーのアイデア
開店した当初は、他にも草餅店が10店舗はあったといいます。
それもそのはず、九份の伝統的な食べ物ですから、作れる人は沢山いたわけです。
では、ライバル店が軒を連ねる中、阿蘭はどのようにして人気店になっていったのでしょうか?
それは、今では当たり前に目にする呼び込みでした。
当時は、どの店舗も大声でお客さんを呼び込むことはしていなかったそうです。
それを始めたオーナー。
観光客の注目を集め、試しに食べてみようと一つ買って口にする。
そして、美味しいという評判が立ち、お客さんが増えていく。
他の草餅店は、段々と減っていったそうです。
以前は、阿蘭の向かいにも草餅店があったそうですが、元気に呼び込みをしてお客さんを集める様子を、恨めしそうな目で見ていたとか。
こういった戦略は、「早い者勝ち」、または「やったもの勝ち」です。
オーナーのアイデアとパワーがなければ、今の阿蘭はなかったかもしれません。
興味深い話を聞けました。
長くなってきたので、今日はここまで。
製造工程と思い出話は別でアップしようと思います。
→九份の人気店「阿蘭草仔粿」の製造工程|インタビュー vol.2
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